
石窯パン「たかはし」店主:高橋さん
南足柄で人気の観光スポットの1つに大雄山の山中に荘厳(そうごん)にたたずむ「最乗寺」があります。樹齢数百年の杉が連なる参道を歩き、まるで山のぼりでもするかのような感覚で、ひとつひとつお寺や森の景観を楽しみながら歩きます。南足柄に来たら、必ず立ち寄ってください。そして、最乗寺への行き方はいろいろですが、すこしだけお時間があるようでしたら、歩いて向かってみてください。その時はぜひ、向かう途中においしいパン屋さんがある道を選んでみてください。その道はとても素敵です。車通りも少なく、ぽつりぽつりと民家が立ち並び、両脇には、畑が続きます。晴れた日ならばハッとするくらい綺麗な瞬間に出会えます。
石窯パン「たかはし」は、そんな風に「お寺まで歩こう」と、歩き出してしばらく、道に迷ってしまった時に出会いました。木で作られた黄色い手作りのちいさな看板が、道にちょこんと出ていないと、そこがパン屋さんだなんて気付かないくらいのひっそりと隠れたお店です。古民家の扉をガラガラと開けると、玄関先に、おいしそうなパンが並んでいます。奥の部屋から、店主の高橋さんが出てきて、ていねいにパンの味や魅力について語ってくれます。町のパン屋さんみたいに、たくさんの種類のパンが並んでいるわけではないけれど、少しが全部おいしそうで、とてもじゃないけれど、ひとつだけなんて選べません。乾燥ぶどうの入ったパン。クリームチーズ、くるみなど。余計なものはひとつも入れていない、小麦粉とお水と、天然酵母とお塩だけで作られた全粒粉のパン。いつものパンに比べると何倍もかたいのですが、噛めば噛むほど、おいしさが口の中に広がります。

いつもおいしそうな果実やチーズのパンが並びます。

石窯の温度を保つための薪(たきぎ)は南足柄のもの。
庭の小屋は、石窯の入った小屋です。いちから手作りでひとつひとつレンガを積み上げて作った石窯で、おいしいパンは焼かれます。大切なのは、窯の温度です。小屋の横に積まれた薪(まき)はクヌギの木。南足柄に温泉施設が建てられた時に伐採された木を無駄にせずに、薪(たきぎ)として使わせてもらっているそうです。週末になると、その温泉の駐車場でも、たかはしさんのパンが売られ、たくさんのお客さんが、温泉だけではなく、そのパンを楽しみに、訪れます。そこでの口コミがひとに伝わって、途中のお店にも寄ってくれるそうです。市外からはるばるパンを求めに来る人もいます。本当に本当においしいので、納得してしまいます。バターなども使っていないので、食べ疲れせずに、どんどんどんどんかじってしまって、いつの間にかなくなってしまっているのです。この間なんて、おみやげにしようと買っておいたパンまで、食べてしまいました。

南足柄のことをたくさん話してくださいました。
普段はもの静かな高橋さんですが、あしたプロジェクトのために、南足柄についてたくさんのことを話してくださいました。歴史や、住んでいるひとたちのこと、山に咲く花や、おいしい野菜の話、森の木の話。南足柄の魅力を聞くと、「なにもないがある」と答えてくれました。もともと隣の小田原市でもう少し規模の大きなパン屋を営んでいたそうなのですが、震災をきっかけに実家へもどり、機械ではなく石窯でひとつひとつ焼き上げるパン屋さんを玄関先ではじめました。その時に、ようやく、自分の住んでいたところの魅力に気づいたと言います。おいしい空気、水、農作物。あたりまえとしか思えなかった自然の魅力が、自分の住む町、つまり南足柄の魅力なんだと言います。たしかになにもないけれど、「なにもない」からこそ生まれる、シンプルでおいしいパンなんです。それと同時に、ささやかなしあわせをひとつひとつ噛みしめることができる、贅沢なパンなのです。